仕掛けの要約【ネタバレ】
一冊に二つの作品が収められている。叙述の仕掛けがあるのは、同時収録の短編「優子」のほうである。
表題作は、殺された九歳の少女が死体のまま語り手を続け、幼い兄妹が自分の死体を隠そうとする数日を見届ける話である。語り手が死んでいることは冒頭で明かされ、誰が殺したかも最初から読者に示される。結末には大きな驚きがあるが、それは終盤に初めて明かされる作中の事実であり、語りの書き方で読者に別の思い込みを持たせていたものではない。この層は叙述トリックとしては扱わない。
「優子」の視点人物は、人形師だった父を亡くし、ある作家の家に住み込みの女中として入った娘である。作家の妻は奥の部屋に閉じこもったまま姿を見せず、娘は部屋に入ることを許されない。食事はいつも半分残り、家には空の人形の箱があり、前の奥さまは亡くなったという話も耳に入る。やがて娘は、主人が人形を妻と思い込んで暮らしているのだと確信し、主人の目を覚まそうとして、その「人形」を庭で焼く。
読者は娘の目を通して家の中を見るので、主人の側が正気を失っているという構図を、娘と一緒に受け取って読む。
結末で構図が裏返る。妻は病を抱えた生身の人間で、部屋に入れなかったのは病をうつさないためだった。家の庭には幻覚を起こす植物があり、人形と人とを見分けられなくなっていたのは娘のほうだった、という説明が示される。ただし、主人の側の話にも怪しい点が残されており、どちらの見ている世界が正しいのかは最後まで確定しない、という読みも有力である。
騙しの技術
- 視点人物の知覚を、そのまま家の中の姿として渡す。 本文は娘に寄り添って進み、娘が見たもの・思ったことが家の中の様子として書かれる。娘自身は自分の知覚を疑っていないので、読者にも疑う手がかりが与えられない
- 当の人物を一度も直接見せない。 妻は最後まで読者の前に出てこない。姿が描かれないので、人か人形かを読者が確かめる場面がなく、娘の推測と知覚が唯一の材料になる
- 人形の気配で家を満たす。 人形師の娘という来歴、空の人形の箱、手つかずの食事といった材料が、どれも「妻は人形だ」という読みの側に積み上がる。人形を妻とする男の話という怪奇小説の型を知る読者ほど、この読みに乗りやすい、という評がある
- 人形の箱の場面で、本当の手がかりから目をそらす。 家の食べ物が足りなくなる事情と、娘がある実を口にする件は、人形の箱が見つかる場面の陰に置かれている、と指摘する評がある
- 娘を騙している作中の人物はいない。 主人が部屋を閉ざすのは病のためで、娘に人形だと思わせようとしているのではない。思い込みは娘の知覚から生まれ、読者にだけ事実の体裁で渡される
フェアプレイの担保
- 娘が本物の猫を人形と見間違え、周りの人に正される場面がある。娘が生き物と人形を取り違えうることは、途中で一度、会話としてはっきり示されている
- 家の食べ物が足りなくなること、庭の植物の実が出てくることが、結末の説明より前に書かれている
- 冒頭に置かれた短い場面の意味が、結末で初めて分かる、という評がある
- 部屋に入れない、食事が半分残る、という材料は、病人を隔てて看ている家としても通る
効き目
- 読者は「狂っているのは主人だ」と思って娘に肩入れして読むため、反転は筋の訂正にとどまらず、読者がどちらの側に立っていたかを突きつける形になる
- 反転の直前に、娘が「人形」を焼く場面が置かれている。真相を知ると、その場面が人を焼いた場面として読み直される
- 真相が一つに決まりきらないため、読み終えた後も「どちらの世界が正しかったのか」という問いが残る。これを作品の強みとみる評と、分かりにくさとみる評がある
弱点・破綻しやすい点
- 物語が「妻は人間か人形か」という二択に早くから絞られるため、反転の向きが読まれやすい、という評がある
- 結末の説明を受け入れても、主人の側の話に矛盾が残るとみる読みがあり、仕掛けがどこまで意図されたものかについて読みが分かれる
- 短い作品で、表題作の後に置かれているため、表題作の評の陰に隠れやすい。一冊として語られるときは表題作の結末が中心になり、「優子」は論じられないことが多い