仕掛けの要約【ネタバレ】
1981年のゴッサム・シティ。大道芸の道化師として働きながらコメディアンを夢見るアーサー・フレックは、母と二人で古いアパートに暮らしている。エレベーターで同じ階に住むシングルマザーのソフィーと言葉を交わしたのをきっかけに、二人は近づいていく。アーサーはソフィーを自分の舞台に招き、彼女は客席にいて、二人は親しくなり、口づけを交わす仲になる。観客はこれを、孤独な主人公にただ一つ与えられた現実の恋として観る。
真相では、二人は付き合っていなかった。終盤、アーサーが断りなくソフィーの部屋に入って座っていると、帰ってきた彼女は怯え、彼の名前をかろうじて思い出す程度にしか彼を知らない。続いて、それまでのソフィーとの場面が短く映し直され、そのどれにもソフィーはおらず、アーサーは一人でいる。二人の日々は、すべてアーサーの内側の出来事だった。
誤認は、主人公の想像の中にしかなかった逢瀬を、現実に起きた出来事として観ていたこと、そして恋人どうしと受け取った二人が、互いをほとんど知らない隣人どうしにすぎなかったことである。
なお、映画全体や結末の一連まで主人公の想像ではないかという読みは、作り手が問いを開いたまま残したもので、特定の思い込みを作って反転させる層ではないため、ここでは叙述の層として扱わない。
騙しの技術
- 空想の撮り方を先に教え、あとで破る。 序盤、主人公が憧れの司会者の番組の客席から声をかけられ、親しく言葉を交わす場面は、終わると母の寝台でテレビを見ている主人公に戻り、空想だったと分かるように閉じられる。観客はここで、この映画の空想には出口の標識がある、と学ぶ。隣人との場面にはその標識がない。同じ主人公の空想を、一方は印を付けて、一方は印を付けずに撮ることで、標識のない場面は現実だと受け取られる
- 想像を、現実と同じ質感で撮る。 隣人は主人公と会話し、触れ合い、主人公の出来事に反応する。画面に映っている人物はそこにいて、映っている出来事は起きた、という映像の前提だけで、二人の交際は事実になる
- 視点から外に出ない。 作り手は、物語を主人公の視点だけで語る構成を守るため、隣人の側から主人公を映す場面を削ったとされる。隣人がどう暮らし、主人公をどう思っているかは、主人公の前でしか描かれない
- 病を見せたまま、どの場面が内側かを伏せる。 主人公が心の病を抱え、薬を飲み、空想にふける人であることは冒頭から示されている。伏せられているのは病そのものではなく、どの場面が彼の内側の出来事なのかという境目である。病が見えているからこそ、観客は「空想なら分かる」と思い込む
- 孤独の物語の中に、ただ一つの救いとして置く。 職を失い、殴られ、誰からも相手にされない主人公にとって、隣人だけが味方である。観客はその救いを信じたいと思う側に立たされている
フェアプレイの担保
- 序盤の司会者の番組の場面が、主人公が自分と他人との距離を空想で埋める人だと示している
- 二人の場面に、隣人の幼い娘が出てこない。隣人の振る舞いが、主人公の望みどおりに出来すぎている、という指摘がある
- 最初のエレベーターの場面で、主人公が隣人の仕草を真似て返したとき、隣人はとまどった顔を見せる
- 部屋の番号が場面によって違う、などの細部を挙げる観客もいる
- 種明かしの直後に場面を映し直すので、受け手はその場で、どの場面が内側だったかを確かめられる
効き目
- 種明かしの瞬間、主人公にただ一つ残っていた救いが、最初から存在しなかったことになる。受け手は主人公と同時にそれを失い、そこから先の破局を、救いのない人間の行動として観ることになる
- 隣人との場面が映し直されると、そこに一人で立つ主人公の姿が残る。受け手が恋と観ていたものが、そのまま孤独の映像に置き換わる。見直しを作品自身が目の前でやってみせる作り
- 一つの交際が想像だったと分かると、受け手は、ほかのどの場面が現実だったのかを自分で問い直し始める。殺人の場面も、結末の場面も、同じ疑いの中に入る
弱点・破綻しやすい点
- 線の引きどころが見えない。 交際が想像だったと分かると、受け手は他の場面も疑う。結末の病院の場面まで含めて全部が想像ではないかという読みが広く出ており、作り手も解釈に開いていると述べたとされる。一つの反転がはっきりしているぶん、それ以外がどこまで信用できるかが決まらない
- 主人公が想像と知っていたかが揺れる。 主人公が空想として楽しんでいたのか、妄想として信じていたのかは、観客の間で読みが分かれる。どちらでも観客の誤認は成り立つが、主人公の内面の読みは変わる
- 隣人のその後が曖昧。 部屋を出ていく主人公のあと、隣人がどうなったかは画面では示されず、害されたと受け取った観客もいる。作り手は害していないと述べたとされる
- 主人公の病が冒頭から示されているので、病を抱えた視点人物の物語に慣れた観客には、交際の場面そのものが疑わしく見えやすい