仕掛けの要約【ネタバレ】
二人の女性を焼死させた罪で死刑判決を受けた写真家について、ライターの「僕」が本を書くために取材する。本文は番号を振った「僕」の章と、手紙・映像の書き起こし・ネットへの書き込みなどを書き写した「資料」の章が交互に並ぶ形でできている。
読者は、拘置所に面会に行く「僕」と、資料の手紙で写真家とやりとりしている相手を同じ一人のライターとして読み、手紙はライターに宛てられたものとして読む。本そのものは、作者が事件を描いた小説として受け取り、冒頭の献辞は作者の献辞として読み流す。
真相では、「僕」は二人いる。写真家と手紙を交わしていたのは、ライターではなく、ライターに執筆を依頼した編集者だった。ライター自身は手紙を一通も出していない。番号の付いた章の一つは、前の章の続きに見える位置に置かれているが、そこで手紙について語る「僕」は編集者である。そして読者が手にしている本は、作中で編集者が作り上げ、獄中の写真家に読ませるために用意した一冊だった。作中の人名は出版にあたっての仮名であり、冒頭の献辞のイニシャルは、本文に一度も出てこない本名を指している。献辞を書いたのは作者ではなく、作中の人物である。
騙しの技術
- 一人称を二人に担わせ、名乗らせない。 ライターの章も編集者の章も、語り手は「僕」としか書かれない。一人称の語り手は自分の名を言わなくても不自然でないので、二人の「僕」を区別する手がかりが表に出ない
- 章の並びで連続を作る。 編集者の「僕」の章を、ライターの取材の章の続きに見える位置に置き、同じ人物が取材を続けているように読ませる
- 手紙の宛名を「あなた」「きみ」にとどめる。 資料の手紙は相手を名で呼ばない。読者は手紙の相手を、ここまで写真家と向き合ってきたライターだと補う
- 資料という記録の体裁を使う。 本文は取材記録と資料の束として差し出される。記録をまとめる側には、誰が誰に宛てた文書かを書き添えない自由がある
- 仮名のルールを本文の途中で一度だけ述べる。 出版にあたって登場人物を全員仮名で書く、という断りが本文の中に置かれている。読者はこれを取材の手続きの一つとして読み、自分が読んでいる本そのものに当てはまるとは考えない
- 献辞を本文の外に置く。 冒頭の献辞は本文の前に刷られ、読者はそれを作者の私的な言葉として読み流す。献辞のイニシャルが本文の誰とも合わないことは、その時点では気にされない
フェアプレイの担保
- 写真家の手紙の中に、相手が誰なのかを問う言葉があり、二人の「僕」の手がかりになっていると読む読者がいる
- 仮名で書くというルールが本文に明記されている。これと冒頭の献辞を結びつければ、本が作中の一冊であることに近づける
- 冒頭の一文は、真相を知って読み返すと、別の相手に向けた言葉としても読める、とする読者がいる
効き目
- 取材を進める「僕」の物語として読んできた本文が、終盤で、二人の「僕」が別々に事件に関わっていた記録に変わる。ライターが知らないところで、編集者が写真家と言葉を交わしていたことが分かる
- 最後に、手にしている本そのものが、作中の人物が復讐のために作った一冊だと分かる。冒頭の献辞の意味がそこで初めて通り、読み終えてから最初のページに戻らされる
- 献辞という、ふだん読み飛ばされる場所に答えを置いているため、気づいたときの反転が大きい。献辞を仕掛けに使ったことに驚いたという評がある
弱点・破綻しやすい点
- 手紙の書き手と宛先、「僕」の入れ替わりが多く、誰の視点の章なのか分からなくなったという読者が多い。終盤の種明かしについていけず、読み返したり解説を探したりした、という声が目立つ
- 献辞のイニシャルの意味は本文ではっきり説明されず、仮名のルールと結びつけるのは読者に任されている。気づかないまま読み終え、イニシャルが誰なのか分からなかったという読者も多い。イニシャルが誰を指すのかについても読みが分かれる
- 事件の真相(二人目の事件で本当は何が起きたか)は終盤にまとめて語られる。この部分は作中の証拠の捏造の話で、手がかりから推理で迫る作りにはなっていない、とする評がある
- 短い長編に仕掛けを詰めているため、人物の掘り下げが足りないという評がある