仕掛けの要約【ネタバレ】
工場の機械工トレヴァーは、一年近く眠れず、骨と皮のように痩せている。職場に新しく入ったという男アイヴァンと話していて気を取られ、同僚の腕を機械に巻き込ませる事故を起こす。ところが事故の後、上司たちはアイヴァンという者はいないと言う。トレヴァーは自分が陰謀に陥れられていると考え、アイヴァンを追い始める。その一方で、彼には二つの拠りどころがある。なじみの娼婦スティーヴィーと、深夜の空港の食堂で働くウェイトレスのマリアである。マリアとはやがて親しくなり、母の日には彼女の幼い息子ニコラスを遊園地に連れて行く。
アイヴァンの実在は、作中で早くから疑われる。観客はトレヴァーと同じ席でその問いを受け取り、陰謀か妄想かを彼と一緒に迷う。この層は、作中の人物の言葉と、トレヴァー自身の推測から組み立てられている。
仕掛けが立つのは、もう一方の層である。マリアとニコラスは、誰からも疑われないまま、ほかの人物と同じ撮り方で画面に置かれる。終盤、トレヴァーが食堂を訪ねると、別の店員が、マリアという人はここで働いたことがなく、彼はいつも一人で黙って座っているだけだと告げる。マリアも、ニコラスも、遊園地の一日も、トレヴァーの頭の中にしかなかった。一年前、彼は車で少年をはねて逃げており、その少年と母親が、名を変えてマリアとニコラスとして現れていた。アイヴァンもまた、その罪から生まれた彼自身の分身だった。
誤認は、現実の交流として観ていたものが、主人公の知覚の中だけの出来事だったことである。
騙しの技術
- 幻の人物を、実在の人物と同じ撮り方で撮る。 マリアとニコラスは、主人公の主観を示す標識なしに画面に置かれ、主人公と話し、食事を出し、家に招き、遊園地に行く。画面に映っている人物はそこにいる、映っている出来事は起きた、という前提だけで、二人は実在になる
- 画面全体の質感を均一にする。 映画全体が色を抜いた冷たい画調で撮られていて、昼の場面まで夢の中のように見える。この質感は現実の場面にも幻の場面にも等しくかかっているので、幻だけを見分ける目印にはならない
- 疑いを一方に集める。 作中では、アイヴァンの実在が早くから問題になり、主人公も観客もその謎を追う。疑いがアイヴァンに向いているあいだ、主人公に安らぎを与える側の人物は疑いの外に置かれる
- 真相を指す数々の符合を、象徴として置く。 冷蔵庫に貼られる首吊りゲームの文字、主人公の車と並びが逆のナンバー、主人公が読んでいる小説の登場人物と同じ名前は、作品の不穏な雰囲気の一部として流れていく
フェアプレイの担保
- 二人の名前が、主人公の読んでいる小説の登場人物と同じである
- マリアの家の間取りが、主人公のアパートと同じだという指摘がある
- 主人公が二人の女性と交わす会話に、似た言い回しが繰り返される、という指摘がある
- 首吊りゲームの空欄は最後に埋まり、真相を指す一語になる。冷蔵庫の紙は主人公自身が書いたもので、中身は偽りではない
- 誰も知らない同僚、という最初の謎そのものが、主人公の知覚が信用できないことの予告になっている
効き目
- 食堂の店員の一言で、主人公の数少ない温かい場面が、すべて彼一人の内側の出来事に置き換わる。救いだと思っていたものが、罪の記憶の変形だったと分かる
- 見直すと、二人が名前を借りていること、家の作りが主人公の部屋と同じであることが、真相の側から読める
- アイヴァンの謎を追わせているあいだに、もう一つの幻を通しておく二段の構成で、疑いを向けた側ではない場所から反転が来る
弱点・破綻しやすい点
- 最初の謎が予告になる。 誰も知らない同僚が出てきた時点で、主人公の知覚が疑わしいことは観客にも示される。その疑いをほかの人物にまで広げる観客には、反転が早く読まれる。終盤の反転を早く見抜く観客もいる、という評がある
- 画調が予告になる。 夢の中のような質感が全編を覆うので、どこかに幻がある、という構えを観客に与えやすい
- 真相が説明的になる。 最後にひき逃げの記憶が戻り、謎のすべてが一つの罪に回収される。その回収の仕方を、すべてを説明しようとする反転の型だと評する声もある
- 主人公にしか見えない人物、という型は ファイト・クラブ・ビューティフル・マインド で既に知られている