仕掛けの要約【ネタバレ】
物語は、犯人が誰かを最初に見せる形で始まる。弁当屋で働く母親とその娘が、つきまとう元夫を自宅で殺してしまう。隣室に住む高校の数学教師がそれを察し、母娘を守るための偽装を引き受ける。その後、川べりで顔を潰され指を焼かれた男の死体が見つかり、警察は元夫と断定する。捜査は母娘に向かうが、死亡推定日の夜について、母娘には崩れないアリバイがある。物語は、数学教師の旧友である物理学者が、このアリバイの裏を探る形で進む。
読者は殺害の場面を見ているので、見つかった死体は自分が見た事件の死体であり、捜査されているのは自分が見た事件だと受け取る。そのうえで、教師がどうやって母娘に偽のアリバイを作ったのかを考えながら読み進める。
真相では、読者が見た殺害は、警察が捜査している日の前日の出来事だった。教師は翌日、身寄りのない別の男を殺し、その死体を元夫に見せかけて置いた。警察が捜査していたのはこの二つ目の死であり、母娘のアリバイは、その日については本物だった。
騙しの技術
- 殺害の場面に日付を書かない。 冒頭の場面は、教師が朝に弁当を買って出勤するところから始まり、時刻は書かれるが日付は書かれない。のちに死体が見つかった日と死亡推定日が明示されるので、読者は日付のない場面を、示された日付に自分で結びつける
- 読者だけが殺害の場面を見ている。 警察と探偵役は、死体の身元と死亡推定日を物証から受け取る。読者はそれに加えて殺害の場面そのものを見ているが、その場面には日付がない。作中の人物は誰もこの場面を見ていないので、場面と捜査の日付の結びつけは、読者の側でだけ起きる
- 作中の偽装が、その結びつけを支える。 死体の身元と死の日付を偽る工作は、警察を欺くための作中のトリックである。読者はこの工作の結果を警察と同じ経路で受け取り、自分が見た場面の日付もそれに合わせて読む。作中の工作と、日付を書かない語りとが重なって、一つの誤認になる
- アリバイを前に出す。 読者は犯行もアリバイが偽りであることも知っているつもりでいるので、注意はアリバイをどう作ったかに集まる。アリバイ崩しに気を取られて、日付そのものを疑わなかったという読者が複数いる
- 視点人物である母親も、殺害の日と警察が問う日が違うことを知りうる立場にいる。しかし語りはそのことを取り上げず、本人が不思議に思うのは真相が明かされたあとである。教師の視点の場面でも、二つ目の殺人にあたる行動は語られない。核心の情報が読者に与えられていない、と受け取る読者もいる
フェアプレイの担保
- 冒頭の場面で、教師は殺害が起きる日の朝に弁当を買い、学校へ向かっている。のちに捜査の側で、教師が死亡推定日の午前に授業を休んでいたことが示される。二つを突き合わせれば殺害の日と死亡推定日が別の日だと分かり、冒頭の場面は警察も探偵役も知らないので、この手がかりは読者にだけ与えられている、と指摘されている
- 聞き込みの中で、死亡推定日の昼の時点で、娘が夜に映画へ行くと話していたことが出てくる。捜査の側はこれを計画的な犯行の印と受け取るが、読者は殺害が突発的だったことを知っているので、前提のほうが間違っていると気づく余地がある、とも指摘されている
- 教師の通勤路にいる身寄りのない男たちの描写と、そのうちの一人が姿を消したことの暗示、見かけと違う種類の問題を作るという教師の数学観が、伏線として挙げられている
- 読み返すと、事件の場面から日付だけが抜けていると確かめられる、と述べる読者が複数いる
効き目
- 犯人が最初から分かっている形でありながら、真相が見えない。読者は事件を知っているつもりでいるので、知らない部分(日付)があることに気づきにくい
- 作中の偽装と語りの省略が同じ方向に働くので、警察と同じ側で騙される読者と、警察より先に事件を知っているはずなのに騙される読者の、二つの驚きが同時に起きる
- 死体の正体が明かされることが、教師の献身の深さを示す結末に組み込まれている。トリックの解明がそのまま人物の真相になる
弱点・破綻しやすい点
- 顔のない死体が先に透けやすい。 顔を潰した死体は入れ替わりを疑わせる定番で、ミステリを読み慣れた読者はすぐに勘付く、という評がある。また、教師が天才として描かれているので、死体の身元を隠そうとしながら遺留品の指紋を見落とすのは不自然に見え、すべてが計画どおりだと考えると早い段階で死体のすり替えが浮かぶ、という指摘もある
- 日付の省略に気づかれることがある。 犯行の日が一日ずれているのではないかと途中で察したという読者もいる。映画館のアリバイの時点で引っかかりを覚える、という評もある
- 手がかりを意図的に伏せているのではないかという異論が出て、本格ミステリと呼べるかどうかの論争になった。多くの論者は本格だとする立場をとった
- 二つ目の被害者が物語の中でほとんど顧みられない点に、違和感を述べる読者が多い