仕掛けの要約【ネタバレ】
警察の捜査を追う章と並んで、犯人の西崎を視点人物にした章があるサイコ・サスペンス。
西崎の章には、同居している女性「サキ」が出てくる。無愛想で家事をせず、西崎が一方的に尽くしている相手として書かれ、冷蔵庫の前で視線を向けてくる、返事をする、部屋を出て行く、といった描写が重ねられる。読者はサキを、西崎と暮らしている生きた女性として受け取る。
実際には、サキは早い時期に西崎に殺されていた被害者で、捜査の側ではのちに身元が割れる遺体の一人である。西崎の部屋にあるのは、冷蔵庫に保存された彼女の足首だった。サキとのやりとりと見えた場面の多くは、西崎がその足首に話しかけていたものになる。
この誤認は捜査陣の誰も経験しない。サキが登場するのは西崎の章だけで、警察はサキという同居人の存在を知らないまま捜査を進める。誤った像は、西崎の章を読む受け手の側にだけ作られる。
なお、本作で広く知られている結末の最後の一行は、これとは別の層にある。最終章は街に流れる噂話を並べて終わり、その最後の一句が、作中で繰り返されてきたある人物の口癖になっている。これによって、捜査が西崎の犯行として片づけた事件のうち一件に別の犯人がいたことが示唆される。こちらは、捜査陣と受け手が同じ結論を共有したまま終わったあとに新しい事実を示す結末であり、提示のしかたで受け手だけを誤らせた仕掛けではない。本項目が叙述トリックとして扱うのは、サキの層である。
騙しの技術
視点人物の知覚を、そのまま地の文の素材にする。 西崎の章は、西崎が感じ取ったとおりにサキを書く。視線も返事も、西崎の側で起きていることとして書かれ、作者は「サキが生きている」と地の文で断言しなくてよい。
生きた人間らしい細部を積む。 髪型や化粧、無愛想な態度、家事をしないこと、関係がうまくいっていないという西崎の悩み。足首以外の特徴が書かれることで、受け手は全身をもった一人の女性を思い描く。
関係の不調という、ありふれた枠に収める。 同居相手に冷たくされている男という、どこにでもある人間関係として読ませる。受け手は、そこに異常があるとは考えない。
二つの章に情報を分けて置く。 サキという呼び名は西崎の章にだけ現れ、遺体とその身元は捜査の章で扱われる。両者を結びつけるのは受け手の仕事として残される。
フェアプレイの担保
- 西崎がすべての家事を一人でこなしている。同居相手が実在するなら不自然な描写である
- サキとのやりとりの多くが冷蔵庫のそばで起きる
- 西崎がサキの足を眺める描写がある
- 西崎の部屋の冷蔵庫に足首が保存されていたことが、のちに明らかになる
再読すると、サキとの場面の多くが足首に向けた独り言として通る。
効き目
- 真相が分かった時点で、それまで人間関係の描写として読み流していた場面が、遺体の一部に話しかける異常な場面に変わる。驚きよりも、遡ってくる気味の悪さとして効く
- 受け手の注意は、宣伝などで予告された最後の一行のほうに向かいやすい。結末の謎を追っている間、サキの層は警戒されにくい
弱点・破綻しやすい点
- 作中で真相がはっきり語られない。 サキが足首であることは、遺体の発見や冷蔵庫の描写から受け手が組み立てるもので、明言はされない。気づかないまま読み終える受け手が出やすく、「真相を明かさないのは不親切だ」という評もある
- すべてのサキの場面が足首として通るわけではない、という読みがある。 特に初期の場面(事件の報道を西崎と一緒に見ているように読める場面)は、生きた人物との場面にしか見えないとされ、殺害の時期との前後関係に疑問が出ている。西崎の妄想が強く働いていたと読めば辻褄は合うが、解釈は分かれる
- 西崎がサキを生きていると思い込んでいるのか、足首と承知で話しかけているのかは決まらない。 後者なら、地の文が西崎の言い換え(「部屋を出て行った」など)をそのまま採っていることになり、作者がどこまで嘘を避けたかの評価が変わる
- 結末の一行が大きく宣伝されるため、受け手の関心がそちらに集まり、この層の仕掛けがあったこと自体を記憶しない読者が出る。効き目の上では利点でもあるが、仕掛けとして認識されにくい