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Another

綾辻行人 / 2009 / 小説 ・ マンガ ・ アニメ

読者が誤認するもの

人物›人物の属性›生死
人物›人物の誤認›一人を複数
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層複合
叙述N-人物の同一と別N-人物の属性
媒体固有T-共通/配役表の嘘T-小説/呼称の揺れT-映像/兼役と替え玉
効果E-図版は客観的な資料E-同じ絵/同じ声=同じ人物E-別の名前は別の人物E-呼称は語り手との関係を示す
手段M-人物すり替え

⚠️ このページは作品の核心(真相)に触れます。未読・未視聴の場合はご注意ください。

まだ読んでいない方へ。この下は真相に触れます。

先に作品にあたるなら、こちらから。

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仕掛けの要約【ネタバレ】

同居している身内の女性と、学校にいる教師とが、同一人物である。

受け手は二人を別人として処理する。

語り手は前者を親しい呼び名で呼び、後者を役職の呼称で呼ぶ。

呼び分けは自然であり、疑う理由がない。

さらに作中には「学校ではその親しい呼び名で呼ばないように」という忠告が置かれている。

これは物語の設定として説明がついているため、受け手はそこに意味を読み取らない。

隠蔽の装置が、作中の合理的な事情として偽装されている。

騙しの技術

呼び名を場面で分ける。

私的な場では親称、公的な場では役職。

この使い分けは現実の言語習慣そのものであり、不自然さが一切生じない。

受け手は「呼び名が違う=別の人物」と処理する。

呼び分けを守らせる理由を作中に用意する。

「学校では呼ぶな」という指示があることで、

語り手が呼び分ける動機が説明される。

トリックの必要が、物語の必然に見えている。

映像版では、演者のクレジットに実在しない名を載せた。

同一の演者が両方を演じている。

そのままでは声が同じであることに気づかれる。

そこで、片方の役の演者名として架空の人物名がクレジットされた。

さらに、その架空の演者の紹介ページが公式に用意され、 真相が明かされる回の後に取り下げられたと記録されている。

その架空名の綴りは、作中の重要な固有名の並べ替えになっている——

つまり創作されたものであることが、後から検証できる形で仕込まれている。

作中の誰も、これを秘密にしていない

この作品の最も重要な性質。

作中の人物は、全員が二人の同一性を知っている。

主人公も、同級生も、学校関係者も。秘密ですらない、公然の事実である。

知らないのは受け手だけである。

→ これは叙述トリックの最も純粋な形にあたる。

作中には隠蔽の共謀が存在しない。誰も嘘をついていない。

受け手だけが、受け手自身の読みによって誤っている。

真相を知って読み返すと、 登場人物の言動は一つも矛盾していないことが確認できる。

→ 収録判定テスト①の教科書的な実例。

フェアプレイの担保

  • 呼び分けは現実の言語習慣に従っており、嘘は書かれていない
  • 作中人物は誰も隠していない(上記)
  • 同一人物であることを示す手がかりが複数置かれている:
  • 飼い鳥の名前と、その鳥が覚えている言葉

(鳥は当人の死後に飼われており、名も当人に由来する。

覚えている言葉は「どうして(死んでしまったのか)」を意味する)

  • 認知症の老人が、当人が死んでいるかのような発言をする

(周囲は別人と取り違えていると解釈する)

  • 遠方にいる家族が、当人について一切言及しない

(その人物だけが作中の超常的な影響の外にいるため。

言及しないことが手がかりになっている)

  • 足りなかったのは生徒の机ではなく、教師の机だった
  • ⚠️ ただし映像版のクレジットには虚偽の情報がある

→ 作品の外側は「地の文」に含まれるのか

同じ仕掛けが、媒体ごとに違う手段で支えられている

この作品は三つの媒体で作られており、 別人性を保つための手段が、媒体ごとに増えている。

媒体別人性を保つのに使われたもの手段の数結果
文章呼び名の使い分け + 呼び分けを守らせる作中の指示1系統成立
絵(連続する絵の媒体)上記 + 髪型の差 + 眼鏡の有無2系統成立
動く絵上記 + 髪の色の差 + 演者名の虚偽 + 架空の演者の紹介ページ4系統成立
実写なし。仕掛けを放棄している0不成立

実写版では、最初から同一人物であることが明かされている。

資料は「これらの叙述トリックを表現するのが困難と判断されたのか」と記す。

呼び分けを守らせる作中の指示も、序盤で説明されてしまう。

結末の処理も変わっている——他者の手で終わらせられるのではなく、

自ら自分の正体を理解して終わる形になった。

媒体が持つ「同一性の手がかり」が増えるほど、必要な嘘が増え、 ついに支払えなくなった。

なぜ実写でだけ払えなかったのか

媒体顔という手がかり作り手が持つ自由
文章ない—
絵・動く絵ある描き分けられる(髪型・眼鏡・色を変えられる)
実写ある。しかも生身⚠️造形(髪型・眼鏡・メイク)は変えられる。顔そのものは変えられない

変えられないのは、顔そのものだけである。

造形(髪型・眼鏡・メイク・所作)は、実写でも操作できる。

→ 十角館の殺人 の実写版は、実際にそれで成立させている。

では、なぜこの作品の実写版では払えなかったのか

⚠️ 未確定である。推測で埋めない。

確かなのは二つだけ:

  • ✅実写版が仕掛けを放棄したこと
  • ✅資料が「表現困難と判断されたのか」と推測していること

考えられる理由(いずれも未検証):

  1. 二人が同じ画面に出る必要があったかどうか

→ 十角館の殺人 は島と本土で場面が分かれ、同一画面に両者が出ない

  1. 尺の制約
  2. 制作・宣伝上の判断

媒体の性質だけでは説明がつかない。

十角館の殺人 は、作品の外側(キャスト発表・登場人物紹介・カメラワーク) まで手を伸ばして払った。この作品の実写版は、それをしなかった。

  • 文章が受け手に与える同一性の手がかりは、名前だけである
  • 絵が加わると、顔という手がかりが増える → 容姿を変える必要が生じた
  • 映像になると、色と声がさらに増える → 色を変え、演者名を偽った

しかも眼鏡の割り当ては、絵の媒体と映像の媒体で逆になっている。

一方は教師のときに掛け、他方は身内のときに掛ける。

→ 同じ道具を使いながら、配分が反転している。 どちらでも成立するということは、 「どちらに掛けるか」自体には意味がなく、 「差があること」だけが必要だったと分かる。

効き目

  • 呼称の使い分けは、媒体を問わず働く(文章でも音声でも)
  • 媒体を移したときに、仕掛けが崩れる箇所を別の嘘で補っている——

文章では成立していた別人性が、映像では声によって破れる。

そこをクレジットの虚偽で塞いだ

  • 隠蔽の動機が作中設定として説明されているため、受け手が疑う契機がない

弱点・破綻しやすい点

  • クレジットは後から検証できる。放送後・刊行後に記録が残る媒体では、必ず暴かれる
  • 同じ演者が演じている以上、耳の良い受け手には気づかれうる

(クレジットの嘘は、その気づきを打ち消すための二重の措置である)

  • 呼び分けの指示が不自然に強調されると、そこが手がかりになる

読み返してみませんか。

仕掛けを知ってから読むと、同じ記述が別の意味で通ります。

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