仕掛けの要約【ネタバレ】
物語は二人の視点を交互に行き来する。一人は、平凡な生活を送っていた若い女性。恋人が何者かに殺されたことから、彼女の日常が崩れはじめる。もう一人は、母を亡くしてから様子のおかしくなった妹を案じる大学生の兄。妹の言動の急変から、兄は多重人格を疑い、妹を見張りはじめる。二人の周りで凄惨な事件が続き、やがて二つの流れが交わる。
読者は二人の視点人物を、別々の場所で別々の生活を送る別人として読む。兄が疑う妹の別人格は、どこか別のところに現れるはずの誰かとして探される。
真相では、女性の側の視点人物は、兄の妹がもつ人格の一つだった。女性として語られてきた生活は、妹が別の名で送っていたもう一つの生活である。女性の人格は自分がそうであることを知らず、自分を一人の独立した人間だと信じて語っている。題名の「存在しない彼女」とは、この視点人物そのものを指している。
騙しの技術
- 二つの視点を、二人の人間の章として並べる。 交互の構成と別々の名前によって、読者は二つの流れの主を二人と数える。作中の誰かが読者に「二人いる」と告げるわけではない。数え違いは、章の並べ方と名前だけから生まれる
- 視点人物自身が知らない。 女性の人格は、自分が別の人間の人格であることを知らない。知らないことは語られないので、語りは嘘をつかずに、一人の女性の生活として進む。真相を知るのも、この人格自身が最後に気づくときである
- 真相に近い言葉を、隠さずに本文に置く。 女性の章の早い段階で、見知らぬ人物が彼女を妹の名で呼びかける場面がある。言われた側が戸惑い、読者も戸惑いを共有するので、この呼びかけは呼びかけた側の異常として処理される
- 囮の人物を用意する。 妹の名で呼びかけてきた人物のほうが、妹の別人格として疑わしく見え、読者の推理はそちらに向かう。兄の章が、妹の別人格がどちらに現れているのかを曖昧にしている、という読みもある。疑いが囮に集まる間、最も疑われない位置にいる視点人物は数え直されない
フェアプレイの担保
- 妹の名で視点人物に呼びかける場面は、真相そのものをそのまま言っている。読み返すと、呼びかけた側ではなく呼ばれた側の場面として読める
- 妹の携帯電話と、女性の視点人物の携帯電話に、同じ特徴的なストラップが描かれている、と指摘されている
- 早い段階に大きな手がかりが置かれていた、冒頭の抜粋と、妹と囮の人物が会う場面が読後に違って読める、という感想がある
- 一方、題名と多重人格という題材の組み合わせから、仕掛けを早い段階で予想したという読者も多い
効き目
- 兄の章で多重人格が主題として明示されるので、読者は「誰が別人格か」を探しながら読む。探す読者ほど、探す対象の外にいる視点人物を数え直さない
- 題名は真相に関わる、と複数の読者が述べている。題名の「彼女」が誰を指すのかを探す読者には、それが自分の付き添ってきた視点人物だったことが反転になる
- 真相が分かると、一人の女性の恋愛と喪失の物語として読んできた章が、別の人間の内側で起きていたことに置き換わる。二度読みを勧める感想が多い
弱点・破綻しやすい点
- 題名と題材が予告になりすぎる。 題名が直接的で、多重人格という語と合わせると結末が読める、という評が繰り返し出る。予告が身構えを生み、身構えた読者は視点人物そのものを疑いはじめる
- 二つの視点しかない。 疑う対象の候補が少ないため、囮の人物を外すと残りは視点人物しかない。視点の操作だけで成り立っている、という評もある
- 事件の側の描写(警察の動きが薄い、殺害の場面の不自然さ)に粗さを感じたという感想があり、仕掛けが分かったあとの納得を妨げることがある
- 人格の関係が複雑で、一度読んだだけでは全体がつかめない、途中から誰が誰か分かりにくくなる、という声がある