仕掛けの要約【ネタバレ】
名探偵・天下一大五郎と、引き立て役を自覚して演じる大河原警部が、密室・アリバイ・ダイイングメッセージなど本格ミステリの約束事を一章ずつ茶化していく連作短編集である。登場人物は自分が小説の中にいることを知っており、話の途中で物語の外に出て、作者や読者に向けて約束事への不満を語る。語りはおおむね大河原の一人称で進む。
大半の章の真相は作中の事件の側にあり、読者に向けた仕掛けではない。叙述の層は二つの章にある。
第十章「アンフェアの見本」(本項目の主たる層)。製薬会社の社長が毒殺される事件で、この章も「私」を名乗る警部の一人称で語られる。章題と作中の会話は、語り手が犯人であるという有名な型をあからさまに話題にし、天下一は読者に向けて、犯人は自分でも大河原警部でもないと告げる。読者は、これまでの章と同じく語り手を大河原と受け取り、この言葉で語り手を容疑から外す。結末で、語り手の「私」は大河原ではなく別の警部であり、その人物こそ犯人だったと分かる。作中で語り手は終始「警部」とだけ呼ばれていた。
第八章「トリックの正体」(副層)。遺産相続をめぐる屋敷で殺人が起き、犯人が人の目の前から消える。真相は一人二役で、中年の男が若い女性に変装していた。作中の人物にとっては一目で分かる変装だが、文章はその姿を描かないので、読者には別人の女性として読まれる。章の副題も伏せられている。
騙しの技術
- 型を公然と予告し、予告とは別の点をすり替える。 第十章は、語り手が犯人という型を章題と会話で堂々と話題にする。読者はその型を警戒して読むが、警戒は「語り手が犯人か」に向き、「語り手は誰か」には向かない。天下一の言葉も、語り手を大河原と読む限り、語り手を容疑から外す保証として働く
- 一冊の中の繰り返しを使う。 他の章の一人称の語り手は大河原で、「私」と「警部」は大河原の呼び名として読者に定着している。第十章の語り手が名を名乗らず「警部」とだけ呼ばれても、読者は同じ人物として補う
- 一人称の語り手は名を言わなくても不自然でない。 語り手が自分の名を出さないことは、一人称の語りでは目立たない
- 文字では外見が伝わらないことを使う(第八章)。 作中の人物には見えている変装を、地の文が描かない。読者は登場人物の一覧どおりに人数を数え、変装した人物を別の女性として受け取る
フェアプレイの担保
- 第十章の語り手は、作中で一度も大河原と名指しされず「警部」とだけ呼ばれている。天下一の告げた言葉も嘘ではない。読み返して初めて気づく伏線があると評されている
- 第八章の真相は、作中では隠されていない事実(見れば分かる変装)で、文章がそれを書かなかっただけである。章の結びで、その事情が登場人物の口から説明される
効き目
- 叙述の型を知っている読者ほど第十章の予告に身構えるが、身構えた方向とは別の点で裏切られる。型を見抜いたつもりで読み進め、結末で読み返したという感想がある
- 作品全体が約束事の茶化しで埋まっているため、読者は各章を「どんな冗談で落とすか」を待つ姿勢で読む。その中に本気の叙述が混ざるので、気づかれにくい
弱点・破綻しやすい点
- 第十章は、章題そのものが反則の型を名指ししている。語り手の同一性まで疑う読者には透ける
- 第十章の犯人は、それまでの章に出てこない新しい人物である。意外性はあるが、推理で辿り着ける犯人ではない。この反則ぶり自体が章の趣旨でもある
- 第八章は、変装を描かないことが結びで種明かしされるまで、ただの説明不足にも見える。仕掛けとして受け取るか、約束事への皮肉として受け取るかは読者による